タマが我が家にやってきたのは、1989(平成元)年5月のことだった。 家族で買い物に行ったスーパー内の小さなペットショップで、ケージに一匹だけ残っていた、生後3ヶ月のシャム猫風のメス猫。 私と妹とで、「絶対面倒見るから! 世話するから!」と父に訴えた。 買ってもらえると分かったときには、信じられない気持ちだった。 今から思えば、地方の小さなスーパーの小さなペットコーナーで、最後まで売れ残って破格に値下げされていた雑種の子だった。 たしか、一万円くらい。 そんなことは幼い私には分からず、子猫の入った持ち手つきの箱を下げて、嬉しくて仕方なかった。 「タマ」という名前は母が決めた。 ありきたりすぎてつまらないし、日本猫でもないのに、と初めは反対したが、その晩ずっと考えても凝った名前が思いつかず、母の提案が通った。 2002.04.08 タヌキと間違えられることも… タマは、小柄な猫だ。 成猫になっても、体重は3kgほど。骨が細いのか、手足がとても華奢な女の子だった。 あとから知ったのだが、シャム猫は気性の荒い猫らしい。 純粋なシャム猫は、すらりと細身で気高い雰囲気があるが、やはり雑種のせいか、その気高いスマートな感じがない。 ただ、気性は激しく、私や妹は生傷が絶えなかった。爪を切っていなかったので引っかかれると傷が深く、今でもあとが残っているほどだ。 タマは、幼い頃から自由に庭に出ていた。 メスなので行動範囲はそれほど広くはないはずだが、一日に何度かは庭に出て用を足し、周囲をパトロールしているようだ。 タマは自分で網戸を開ける技を持っていないので、外に出たいときは人間にアピールする。 それは、障子を破くことである。 明け方ごろ、外に出たいとき、障子に爪を立て、プスッと穴を開ける。 そして、ちらりと振り向いて飼い主の表情をうかがい、反応がないと、次は障子紙を引き裂く。 明け方に突然紙の破ける音が響き渡り、かなりの安眠妨害である。 それに負けて一度外に出してあげてしまったので、それ以来障子を破く技を覚えてしまった。 頭のよい猫なのだろうか? 2002.03.11 タマは家からあまり離れた場所には行かない。 そのおかげか、それともすばしこいのか、頭がよいのか、交通事故には一度も遭わずに済んだ。 野良猫が庭に侵入してきたときにも、大声を出して果敢に追い払う。 誰に教わったわけでもないが、立派なハンターでもある。 スズメ、メジロ、ヒヨドリ、モグラ、トカゲ、蝶などもよく捕らえてきていた。 家族が外出している間でも、タマが出入りできるようにと、猫用の小さな出入り口を開けていた。 外出から戻ると、室内のあちこちに蝶の死体が散らばっていたこともあった。 タマは庭で用を足すので、せっかく植えた植物などはことごとく掘り返される。 また、パトロールから戻ってくるとタマの手足は泥だらけ、爪には木の根がたくさん挟まっている。 そのままで家に上がられると、いかにも猫! という足跡がついてしまうので、帰ってきたらお風呂場に直行。 ぬるま湯シャワーで洗い流してやるのだが、ギャオ〜〜〜! と、まるで虐待でも受けているような叫び声をあげる始末。 2002.06.02 家の裏側をパトロール中 一度だけ、タマが生死の境をさまよったことがあった。 おそらく、生後2年くらいの頃だと思う。 原因は分からないが、低血糖に陥っていた。 私は、タマの具合が悪くなっても自分では何もできなかった。 私は「けっとうち」という言葉も初めて聞いたし、「血液の中の糖分の値が低い」ということがどういうことなのかもわからなかった。 バスタオルにくるまって、一日中体を丸めてじっとしているタマを見ても、死んでしまうかもしれないという実感はわかなかった。 タマが死んでしまうなんて、想像もつかなかった。 数日間、タマはそうしてタオルにくるまれたままじっとしていたが、徐々に起き出すようになり、ものを食べるようになり、目に輝きが戻ってきた。 「数日が山でしょう」と言った獣医も、この回復には驚いた。何の治療もせずに、タマは生還した。 まるでちょっと風邪でも引いていただけとでもいうかのように、すっかり元気になった。 タマは人間の食べ物に興味津々だった。 普段は缶詰タイプの餌やドライフードを食べているが、 食卓に食事の準備がととのうと、真っ先にテーブルに飛び乗って肉や魚や卵料理などをくわえて逃げた。 また、台所で魚や肉のパックを開封するなり、どこからか飛んできて、ニャーニャーと声を張り上げてねだる。 特に好きなのは、砂糖を加えた甘い卵焼き、鶏のささ身、チーズ、ヨーグルト、まぐろの刺身、甘い生クリームや、ポテトチップス。 ヨーグルトは、パックの中に顔を突っ込み、いつまでもぺろぺろ舐める。 ポテトチップスは、ちょっと目を離すと袋に顔を突っ込んでしまう。 取り上げると、ニャーニャーとねだる。 チーズは、アルミ包装を開ける音が聞こえると、猛ダッシュでやってきて、チーズを持つその手に飛びかからんばかりの勢いだった。 そんな食生活が祟ったのか、タマは歯槽膿漏になった。 だんだん口臭がひどくなり、夜一緒に寝ていて顔のそばであくびをされると思わず息を止めたくなるような、きつい匂いがするようになった。 徐々に犬歯がぐらつくようになり、餌を噛み砕くのが難儀になっていった。 動物病院で診てもらった結果、犬歯を抜くことになった。 数年間で、牙はどんどん減っていった。 2002.06.02 5匹の子猫たちを拾う日まで、あと26日。丸々太った一人っ子。 タマの鳴き声はよく通る。 気性が荒いシャムの血が流れているからか、タマは興奮して階段を駆け上る。階段を上がったところで、ニャアオオオ〜〜〜〜! と叫ぶ。 昼夜問わず、大声を張り上げ、家族は驚いた。 誰かを呼んでいるのか? 自分の位置を知らせているのか? タマだけかと思っていたら、よその家の猫も同様の行動をとるということを聞いた。 一体何なのだろう? タマはまたたびには興味を示さない。 市販の爪とぎ板には、たいていマタタビの粉末がついているが、タマはこれにもまったくなびかない。 猫は酔っ払ってトロ〜ンとなったりゴロゴロ寝転がったりするもの、と子供心に期待していたので、ちょっと拍子抜けした。 ちなみに、タマの爪とぎは庭の樹木である。柿と銀杏の幹は、爪とぎの跡がついてボロボロだ。 2002.07.26 夏の暑い盛りは、学習机の下がお気に入り。近寄らないで頂戴! 私が5匹の子猫を拾ってきたとき、タマは14歳だった。 まだ目も開いていない、もぞもぞと動く黒い生き物は、猫のようには見えず、タマは、ほかの猫が我が家に侵入してきたとは気づかなかったはずだ。 徐々に、子猫が育ち鳴き声を上げたり、走り回るようになったり、猫らしい姿に変わってきたときのタマの驚きは計り知れない。 飼い主の興味が移ってしまったとショックを受けたかもしれない。 縄張りを侵されて敵対心を持っているかもしれない。 母が言うには、当時タマは一日じゅう眠ってばかりで、無気力な日々を過ごしていた。 家族も、タマを「おばあちゃん猫」と扱い、おもちゃでじゃらして遊んだりすることは少なくなってきていた。 しかし、騒がしい5匹の子猫たちが家の中を走り回るようになると、タマにも変化が現れた。 子猫たちは、おばあちゃん猫だろうと何だろうと、動くものには興味津々。タマが歩いていると、走ってきて飛び掛ったり、手を出したり。 タマは猫パンチで応戦。シャー! と威嚇の声を上げる。 また、タマがのんびりと餌を食べていると、お腹をすかせた育ち盛りの子猫が飛んできて、横入り。 タマが少しでもその場を離れると、残りの餌を平らげてしまう。 タマは精神的に追い詰められているのでは? と心配になった。 家出をしてしまったらどうしよう、疲れ切ってしまったらどうしようと。 しかし、子猫たちが家の中で暴れまわるようになって、タマも気を張った日々が続いたのか、なんだか生き生きと元気になってきた。 当初は、母性本能が呼び覚まされて母猫のようになってくれたらと期待していたが、一人っ子状態で甘やかされて育ったタマには無理な話だった。 2003.08.27 15歳になる頃、タマはだいぶ弱ってきていた。 動物病院では「腎不全」と診断された。年をとった猫の多くがかかる病気だという。 それでも、毎日パトロールに出かけ、子猫の攻撃から逃げ、食卓のおかずを狙った。 2004年、毎日通院して点滴を受ける日々が数ヶ月続いた。 また、具合の悪い日には飲み薬も飲ませた。 走ることができなくなった。 耳も遠くなった。 窓の外を眺めながら、じっとうずくまっている。 時々、水を飲み、トイレに行った。 後ろ足に力が入らなくなり、段差を登り降りすることができなくなった。 爪は伸び放題で、よちよちと歩くたびに、カツカツと鳴った。 2004.0219 外に出たいと訴えています。 2004.02.19 ひなたぼっこ中。 2004.02.19 よちよち歩き。上から見ると、こんなに細くなってしまいました。 そのうち、トイレに辿り着くのに間に合わずに、おしっこをもらすようになった。 トイレの枠からはみ出しておしっこをしてしまうこともあった。 用を足してトイレから出ると、疲れ切ってその場にへたりこんでしまう。 タマの下半身は、気づくとおしっこで濡れていた。 2004.04.13 写真右上のはなちゃんが、タマの餌(写真左上)を狙っています。 2004年8月 タマは、トイレに行きたいときには、訴えるように鳴く。 それで、家族がトイレまで抱いて連れて行ってあげる。 キャットフードはほとんど食べなくなり、急速に痩せていった。 毛づくろいも自分ではできなくなり、毛がぼそぼそとしてみすぼらしくなった。 それでも、鶏のささ身や、新鮮なアジは大好物で、匂いを嗅ぐと目の色が変わった。 牙のない口で、ハグハグと一所懸命にアジを食べた。 こんな状態になっても肉や魚を食べたがるということに、獣医は驚いていた。 欲しがるのなら与えてよいと言われ、その瞬間だけは、タマはもっともっと生きられると信じさせる勢いがあった。 2004.08.12 食卓のほうをうかがっています。生アジがあるのです。 2004.08.12 もう最後になるかもしれないと思って撮影。 8月15日(日) 朝7時43分 家から電話がかかってきた。眠っていて電話を取れなかったのですぐに折り返すと、母が「タマが、2時間くらい前に死んだから」と教えてくれた。 以下は、母と妹の話による。 前日の夜から、呼吸が荒くなってきていた。 もう危ない、と母と妹は思い、その晩は寝ずの番をした。 寝室で、一晩じゅうタマのそばについて、体をそっと撫でてやる。 明け方、妹はついうたた寝をした。 母の隣で、タマが鳴いた。トイレに行きたいときはいつもこのように鳴く。 母はタマをトイレへ連れて行った。 トイレの猫砂の上に、タマの体をそっと降ろそうとする。 突然、タマはもがくように暴れ出した。 興奮して手がつけられないくらい、激しく。 暴れるタマを抱えたまま、母は寝室へ戻って「タマが興奮して暴れてるの」と妹に告げた。 すぐに起きだした妹は、母親の腕からタマを受け取った。 発作のような興奮はおさまってきていた。 両目がかっと見開かれている。 もう、息はしていなかった。 痛かったのだろうか? 苦しかったのだろうか? 助けを求めていたのだろうか? 私はその日の仕事を終え、実家に向かった。 タマの遺体はがりがりに痩せ、数日前に会ったときよりも華奢な姿で横たえられていた。 バスタオルをめくってその姿を見た瞬間、タマは子猫に戻ったのだと思った。 毛の色が妙に白い。 綺麗に拭いてあげただけで、こんなに白くなるものだろうか。まるで、子猫の頃の毛色に戻ったかのようだ。 ピンクと黒のまだら模様の肉球は、血の気が引いてピンクではなく冷たい白になっていた。 歯周病で歯が抜けて、いつも半開きだった口は、まだ同じように半開きだった。 見開かれていた両目も、ちゃんと閉じられていた。 タマの、寄り目のブルーの瞳は、今までに出会った他のどの猫とも違っていた。 2004.08.16 つい2ヶ月ほど前に、はなちゃんを火葬してもらったペット霊園に、再び火葬をお願いした。 届けられた骨壷を開けると、タマの頭蓋骨は大きな骨として残っていた。 はなちゃんは頭蓋骨が割れていたので、どれがそうなのかすら分からなかったが、 タマは体つきが華奢だったにもかかわらず、骨はしっかり残っていた。 今、実家にはタマの骨壷と、はなちゃんの骨壷が並べて置いてある。 そして、二匹の写真と、首輪と、餌も。 その周りを、若猫たちが元気に走り回っている。 |
〜このウィンドウを閉じるには、ブラウザの「閉じる」ボタンをクリックしてください〜
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||